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三樂文庫

はじめての利他学

2022.06.13

本文を引用します。

 

「一つのパンと利他」

 

 たとえば、こんな状況を考えてみましょう。

ある日、三人が山登りに出かけました。急な天候の変化で歩き続けることはできません。

一行は、洞窟のような場所にすでに半日以上います。食糧はパンが一個だけ、皆が空腹に襲われ始めています。

 ここで、パンを独り占めしようとする。それはいうまでもなく「利己」です。

一方で、自分のことを考えず、もっとも弱っている人にあげようというのが最澄の「忘己利他」です。

 

 空海は、最澄の教えをふまえつつ、その先にあるものを見つめます。

つまり、弱っている人にパンを手渡すことによって、自分は「見えないパン」、すなわち、心の糧を手にすることができる、

というのです。

 

 同様のことは、一つのパンを三つに分けたときにも起きるのではないでしょうか。

そこには信頼や友愛、あるいは喜びなどが生まれます。そうしたこともまた、「自利」につながる、と考えられるのです。

 

 最澄は、「自分を忘れる」ことに「利他」とは何かを考える力点を置きました。

空海は、「自他とともに」というところに力点を定めるのです。

 最澄と空海の「利他」感は、似ているともいえますが、同時に似て非なるものだともいえそうです。

 ただ、注意したいのは、異なるということが、そのまま優劣を意味しないということです。

問題はどちらが優れているかではなく、それぞれの道がどのような姿をしているかなのです。

 

「利他」という言葉を初めて知りました。

他者とともに生きるために「つながり」を持続的に深めること。

「利他」の意味がますます高まるなか、一方で「自分を愛する」重要性もエーリッヒ・フロムが問うています。

 

「コロナ危機」「ウクライナ侵攻」の問題は、「利他」の本質が発揮される時が来たと思うか?

人類が試されているような気がします。

捨てたもんじゃない人類であることを願います。

はじめての利他学
  • 三樂文庫No:079
  • 著者:若松 英輔
  • 出版社:NHK出版
  • 発行日:2022年5月30日

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文章・写真: 三樂編集部